猪苗代新幹線はかつて猪苗代第四水力発電所と鳩ヶ谷変電所間を結んでおり、宮代町(昭和の大合併前は百間村)の750号で猪苗代旧幹線と交差していました。昭和50年代の宮代広報にも昭和30年代のまだ砂利道だった県道春日部久喜線との情景が見られます。
猪苗代旧幹線廃止後も750号は高い鉄塔で通っていました。751号/752号は原型の低い鉄塔でしたが、1985年頃嵩上げ改造されています。
猪苗代新幹線750号

学園台と呼ばれる地名になったのは、おそらくこの南側に日本工業大学ができてからだと思います。街路樹がある通りは学園台、信号から先は本田です。
1980年代この先の本田は歩道もなく道も狭く、そこを多くの学生が通学しているので危険でした。歩道整備は1980年代後半から行われましたが、(21世紀の現代もそうですが)宮代町の道路事情はかなり悪かったといえます。
電線と碍子を外された猪苗代新幹線750号

2000年に749/750/751/752各号の建て替え工事が行われることとなり、電線と碍子が外されました。750号は新鉄塔が立つのが早く、12月にはもう新鉄塔が姿を現していました。原型鉄塔の杭の位置に合わせた造りの鉄塔になりました。
猪苗代新幹線は後発ですから、猪苗代旧幹線の上を行く図だったのは言うまでもありません。猪苗代旧幹線廃止後も、電柱の電線はその個所は地中ケーブルで潜るなど、長年その面影を残していました。
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